Volume.43 SPECIAL CONTENTS

界をひらく家

HOME & COMMON

「箱」としての住宅性能は
ここ20年ほどで大きく向上した。
その一方で、暮らしの空間は閉ざされ、
人との交流の場は減っている。

プライベートとパブリック——
どちらでもあり、どちらでもない曖昧な領域
COMMONをバッファーとして定義し
地域の交流の場としての住まいを模索する
建築家の秋山東一氏に
これからの住宅のあり方について伺った。

界をひらく家

建築家 ランドシップ主宰

秋山 東一さん

1942年東京都生まれ。1968年東京藝術大学美術学部建築科を卒業後、東孝光建築研究所に入所。1972年独立しランド計画研究所を設立。OMソーラーの普及にも携わる。1994年「フォルクスハウス」、2003年にその進化系「Be-h@us」を発表、現在BEAHAUSの商品化プロデュースを行う。2009年より「秋山設計道場」を開き、地域住宅の担い手の育成にあたる。

住まいのもつ時間性を
初めて問うた
建築家 秋山東一さん

〝Stay hungry, stay foolish〟——スティーブ・ジョブズが2005年5月、スタンフォード大学卒業式でのスピーチを締めたその言葉は、もともと『全地球カタログ』最終号(1974)の裏表紙を飾ったものだった。そして、同誌編者スチュアート・ブランドの著書『建築物はいかにして学ぶか―建てられたあと何が起きるか』を入り口に、住まいのもつ時間性を日本で初めて問うた建築家こそ秋山東一さんである。住まいは時間とともに変わっていく。好むと好まざるとに関わらず、「バラック」へ変質していく。バラックとは率直、直裁に必要とする物を生む空間構成の手法をその本義から借りた秋山さん一流の比喩だ。美しく時間を経過させるため、基本的な性能はゆるがせにしない。だが、時間の中で住まい手が適宜メンテナンスし、ときに自らの考えで自分の住む場所を改良したりつけ加えたりする余地を残す。時間の積層を生き続ける住まいとは、時間とともに自分自身に馴染み、周辺の環境に馴染む住まいだ。ゆえに、バラックになることは美しく、正しい。

ならば「美しいバラック」をどう育むか。師の奥村昭雄氏が考案開発し、自身もその普及に携わった「OMソーラー」を取り入れ、秋山さんは1994年に「フォルクスハウス」を発表する。コンセプトはVWビートルのようにかわいらしくて丈夫、単純で素朴な機能、むろん環境共生が前提で、地域に根ざしたものであること。「木造打ち放しの家」とも称されたフォルクスハウスは、OMソーラー協会会員工務店によって瞬く間に全国に広がった。ついで2003年にはその進化系として「Be‐h@us」を世に問う。もう一つ、2009年に始まり今も続く秋山設計道場について触れよう。

秋山設計道場で
師範と道場生に共有される 「common」

秋山設計道場は、地域工務店の設計力を鍛えることを目的とする。設計とは、武道同様修業により習得するものにほかならない。だから道場である。これまで延べ160回以上全国各地をめぐって開催されてきた。道場生は課題を即日設計したエスキス(ラフスケッチ)に対する師範の厳しい講評を通じ設計の文法を身体化する。たとえば「まどるな!」は、目的限定空間を無限定空間に転ぜよの意。間取りは時間に耐えられない。ワンルームのようにして、あとは設えろと。そして、昨今、道場で共有される手法に加わったのが「common(コモン)」である。道場生の一人で、写真のY邸を手がけた椿建築所の佐藤慶一さんは、これを「中間領域」と表現する。外部と内部をつなぐ空間であり、プライベートをパブリックに向かって開くため、両者の間で糊代のような役割を果たす空間である。Y邸では、母屋と客間の間に設けた土間がその典型であり、あるいはアウトドアリビングもまたそう呼べる存在である。

アウトドアリビングは母屋からも、それとは別棟の客間からも出入りできる。玄関は風防室と収納も兼ねた土間で、屋外と屋内、母屋と客間とを結ぶ中間領域として機能する。

バッファーとは
住まいを社会に向かって
ほどよく開く手法である

commonを定義するなら「バッファー」であると、大好きな鉄道模型用語を持ち出して秋山さんは言う。バッファーとは「緩衝器」のことで、車両同士を連結する際、その衝撃を直接車両側へ伝えないようにするのが役目だ。省エネと耐震面で住まいの「箱」としての性能は格段の進化を遂げた。しかし、住宅という個の領域とその外側の社会との接し方について問われることは少なかった。家の内は自分の自由な縄張りである。一方、外にはまるであずかり知らぬ世界が広がる。一枚の頑迷な壁で、個と社会の間に生じうる懸念を避けようとしても、軋轢や不安や孤独はかえって増す。住まいは時間の積層を生き続けるために、周辺の環境に馴染むべきなのに。

東日本大震災やコロナ禍を経て、住まい方への見直しも進んだ。秋山さんはランドスケープデザイナー田瀬理夫さんとともに、一軒一軒の家を「箱」からより良い「場」とするべくA2プロジェクトを実施。街角に緑や野菜畑を計画するなど、個と社会との間にバッファーを設けることで、住宅を社会に向かってほどよく開こうと試みる。そして、手法としてのバッファー、つまりcommonは、秋山設計道場における設計の文法としても確立していった。

窓からはりんご畑が、その向こうには北信五岳や高社山が望める。窓は外の絶景を内へ取り組むのみならず、内の世界を外に向かって開く。

北信五岳を眺め
ぐるりとりんご畑に
囲まれた住まいで

この家に暮らすYさんは、信州の山々に魅せられ山ノ内町に移住した。母屋は家族4人にとって必要最小限の広さだろう。ただし南面には、母屋からも別棟の客間からも出入りできる屋根付のアウトドアリビングがある。ここで家族や仲間とたき火を囲み食事を楽しむ。夏の週末なら早朝、渓流釣りに出かけては釣ってきた魚を捌き、冬には志賀高原の様子を眺めやりながらスキー板のメンテナンスをする。屋内にいても視線は自ずと外へ向かう。大きな開口からは、この場所に家をつくる決め手となった北信五岳とりんご畑の眺めが、四季を通じて、いや一日のうちにも表情を変えながら、穏やかに気持ちへ寄り添う。玄関と風防室、収納を兼ねた土間は見た目こそ素っ気ない。だがこの空間の打つ一拍が、冬の厳しい寒さとの、客間と母屋との間の程合いを生む。ベニヤを打ち放した内装仕上げも含め、住み手にも周辺の環境にも馴染むとは、かくあることと、この家は語る。

common は
一方通行ではない。
そこから始めよう

秋山さんは友人の言葉としてこう引いた。「あらゆる場所があなたのものだ。自分の住まいはいうまでもなく、となりの庭の花・前の道・通りがかりの家の樹木・行きつけの店、そのどれもが一部はあなたのもの。」たとえば住まいの窓は、世界を取り込む路である。それが開くことで、庭もその先の風景も、みんな私の空間の延長として私の空間の中へと取り込んでしまう。借景といえば聞こえはいいが、そこで終わってはいけない気がする。さっきの言葉はこう続く。「同じように、あなたの家のバルコニーも、木蔭も、玄関ポーチも、その一部は誰かのものだ。」

commonは一方通行ではない。互いにそう思いながら生き、そう気遣いながら住むことができたら、社会も家の中ももっと心地よい場所になるにちがいない。Y邸の佇まいにも、そう思う。秋山さんは建築と向き合いながら、あるいは鉄道模型など趣味にもどっぷり浸りながら、分からないことを分かりたいから人生はあるのだと言う。住まいは時間とともに変わっていく。その気付きから、美しく正しいバラックを生み育む手法を秋山さんは数々生み出してきた。いや、この人の「ユーレカ!」はこの先もきっと続く。