Volume.04 SHINSHU LOCALISM
森といきる 伊那市
ROUNDTABLE DISCUSSION
クロストーク
伊那市長:白鳥 孝さん
移住・定住コーディネーター:藤井 香織さん
移住者:宮内 美穂さん
Volume.04 SHINSHU LOCALISM
クロストーク
伊那市長:白鳥 孝さん
移住・定住コーディネーター:藤井 香織さん
移住者:宮内 美穂さん
長野県の南に位置する伊那市。教育や移住の施策、地域課題の解決のためのDX推進など、多方面で注目を集めるこのまちはいま、子育て世代を中心に移住者が集まる場となっている。1年半前に家族で移住した宮内美穂さんと、4年半前に移住し市の移住・定住コーディネーターを務める藤井香織さんが、市長の白鳥孝さんとともにまちの魅力とその源流を探った。

伊那市内の高台に広がる「はびろ農業公園 みはらしファーム」内にて。同園は日帰り温泉にくだもの狩り、多様な体験メニューも人気。
都市を抜け出し、地方へ移り住もうと考えるとき、そこにある自然に身を浸すような暮らしを思い描く人は多いだろう。しかしながら実際に地方へ足を運んでみると、都市型の開発が志向されていたり、そもそも身近な自然への関心が薄かったりと、感覚の乖離に驚いたという話は数えきれない。では、長野県伊那市はどうだろう。人口約6万5千人のこのまちでは、じつに約50年も前から子どもの自主性を重んじた「探究型学習」の原点ともいえる教育が継承されているほか、近年では「オーガニックヴィレッジ宣言」が行われ、さらには「森といきる 伊那市」をブランドスローガンに、多様な命が支え合うまちづくりをめざしている。こうしたまちの躍動に引き寄せられるように、4年半前に移住した藤井香織さんは、「少しの勇気を出して人生を変えてよかった」と、暮らしのみならず価値観の転換をもたらした移住経験を振り返る。移住2年目の宮内美穂さんも、「土地と人に出会いながら、挑戦したかったことがどんどん叶っていく」と、笑顔で現在の想いを伝える。市長・白鳥さんと二人による伊那の人、まち、森と生きる喜びについての対話は、伊那市の魅力をさらに引き出し、未来につないでいくための施策にも自然とつながり、共感と熱を帯びていった。

産地直売所の先駆的存在「産直市場 グリーンファーム」で人気の動物ひろば。のんびりと草をはむヤギたちはなんとレンタル可能。除草などに活躍している。

宮内家の次男が通う伊那市立長谷保育園の遠景。春は桜、秋は紅葉の名所としても知られる美和ダムのほど近く、クジラの背を思わせる屋根がシンボルの同園は、「そらとぶくじら保育園」の愛称で親しまれている。
白鳥孝市長(以下、市長) 今日は南アルプスを望むこの場所でお会いすることを約束していたので、お天気に恵まれてよかったです。私は、2つのアルプスに抱かれたこの景色のなかで生まれ育ってきたけれど、未だに飽きることはないし、自然への畏怖とともに探究心も増すばかり。今日のような気持ちのいい日には、市庁舎へ向かう前に少し車を停めて山の写真を撮ることもあるんです。
藤井香織さん(以下、藤井) 移住して4年半が過ぎましたが、私もまさに、四季の移ろいや夜空の美しさなどに感動する日々です。非日常のような、旅の続きのような……。何年暮らしても、きっとこの感覚は変わらないですね。
宮内美穂さん(以下、宮内) 私は神奈川県から昨年3月に引っ越してまだ1年半ほどですが、すっかりここでの暮らしから戻れなくなってしまって。夏に数日実家に戻ったら、「思っていた以上に蒸し暑い!」と、伊那の家が恋しくなってしまいました。

白鳥孝(しろとり・たかし)さん。伊那市長。伊那市西箕輪に生まれ、立教大学社会学部を卒業後、信英蓄電器箔株式会社、伊那市収入役、同副市長を経て2010年から現職。現在4期目となる。

宮内美穂さん。24年に神奈川県から家族で移住。現在はかねてから実践してきた麹づくりの経験を生かし、自宅や公民館などで手づくり麹教室も開催している。

藤井香織さん。伊那市移住・定住コーディネーター。コロナ禍をきっかけに21年に神奈川県から家族で移住。22年から集落支援員として現職に。
——お二人は、どのようなきっかけで伊那市への移住を決めたのですか?
宮内 わが家は、夫婦そろって登山好き。結婚をしたときから、いつか長野県で暮らしたいと考えていたんです。子どもが生まれ、改めてその想いが強くなったとき、東京・有楽町のふるさと回帰支援センターに出向いたところ、「今度伊那市で小学校の見学ツアーがあるからどうですか」と、情報をいただいたのがきっかけでした。
藤井 私たち家族の場合は、コロナ禍が後押しになりましたね。行動制限が厳しくなるなか、SNSで森関連のイベントをフォローして見ていたら、おすすめとして伊那市の小学校の「森のなかで学ぶ小学校オンラインツアー」の情報が飛び込んできて。参加してみたら、画面越しに映ったのが、子どもたちが木を伐り倒す授業。こんな教育や暮らしがあるんだと感動して、3週間後にははじめて伊那を訪ね、半年後にはもう伊那に引っ越していました。来てみたらキャンプ場も多く、薪ストーブの普及率が高い「森に近い暮らしや遊び」がある一方で、伊那市駅周辺には商店街があり、マルシェなども開かれていて。自然の魅力だけじゃない街の魅力もあり、バランスがいい点も、すごく安心感がありました。

市内「鳩吹山」から望む伊那市。

「産直市場グリーンファーム」でヤギにエサをあげる子どもたち。

グリーンファーム内観。「野菜の苗をまとめて購入したり、古道具コーナーで掘り出し物を見つけたりするのも楽しみ」と宮内さん。
——伊那市の個性的な学びや保育に共感し、「教育移住」を希望される方が多いですし、市としても注力されていますね。
市長 とくに映画『夢みる小学校』の舞台の1つとして注目を集めているのが伊那市立伊那小学校です。通知票もない、チャイムもない、時間割もないという探究型の学びを実践している学校ですが、じつは約50年前からこのまちの公立校として続いているもの。ですから他の公立小学校が無関係かというとそうではなく、自然科学の学びを軸にした伊那西小学校も、その他の市内の小学校も、すべて伊那小学校とは同類の遺伝子をもつ存在だと私は考えています。
藤井 しかも伊那市全体が豊かな自然と密接だから、学校や保育園などでの体験が日常でも生きるのが素晴らしいです。 宮内 本当に。うちの子もつい先日、市内のプラネタリウムに行ってきたんですが、家に帰ってくるなり星座表をつかんで外に出て、「あれが夏の大三角だよ、あれが◯◯だよ」って。見上げれば満天の星が広がり、天の川が見える、この環境ならではだと感じました。
宮内 本当に。うちの子もつい先日、市内のプラネタリウムに行ってきたんですが、家に帰ってくるなり星座表をつかんで外に出て、「あれが夏の大三角だよ、あれが◯◯だよ」って。見上げれば満天の星が広がり、天の川が見える、この環境ならではだと感じました。
藤井 ちなみに私がオンラインツアーに参加した伊那西小学校は、校区を越えた入学が可能な「小規模特認校」。万一、学区内に家が見つからなくても通えるのでおすすめです。
※「マスウト 移住アワード2024」ランキングより

宮内家のお散歩コースの1つ、熱田神社。地元には、村人を悩ませていた大蛇を日本武尊が退治したとの伝説があり、同神社はその恩恵に感謝して祀ったものといわれている。かやぶきの覆屋のなかにある本殿は国指定重要文化財。

境内の熱田神社舞宮に立つ子どもたち。
——市では個性的で幅広い移住支援を展開しているとか。藤井さんは現在、伊那市の移住・定住コーディネーターとして、移住検討者へ情報を伝える役を担っていますね。
藤井 はい。移住相談は電話、メール、ウェブでもお受けしています。毎週水曜日は教育移住相談の日とし、学校見学をコーディネートする教育移住支援員の同席も可能です。私自身の移住検討のときに感じたのですが、伊那市には「田舎暮らしモデルハウス」などの移住体験施設があったり、ウェブサイトや冊子が豊富だったりと、検討材料がたくさん揃っている。そうして理解や納得をしたうえで決断できるのも、「移住人気ランキング3年連続1位」※になっている理由だと思います。
宮内 もちろん、藤井さんのような移住経験者が相談に乗ってくれるのも、検討する人にはとても心強いと思います。
※「マスウト 移住アワード2024」ランキングより

「あの山が仙丈ヶ岳で……」とみはらしファームから望む山々を熱心に説明する白鳥市長。

お父さん手づくりのおにぎりを頬張り、思わず笑顔に。
——もう1つ、伊那市独自の取り組みとして注目を集めている「田舎暮らしモデル地域」についても教えてください。
市長 移住者を積極的に受け入れたいと手をあげた地区を市が「田舎暮らしモデル地域」に指定し、市内でも移住・定住支援をより手厚くしてこれを後押しする取り組みです。このとき主役は市ではなく、地域住民自身。どんな人を迎え入れたいか、どうすれば移住・定住につながるかなど主体的に考えて活動いただいています。
たとえば新山という地域では、住民の減少で地域の保育園児が6名にまで落ち込み、閉園寸前の危機に陥っていました。そこで「5年の間にどう変わるかで考えましょう」と期限設定をするとともに、2015年に田舎暮らしモデル地域に指定しました。すると、住民たちは他地域からの移住者の受け入れだけでなく、別の場所に暮らしていた自分たちの子どもにまで声をかけて人を呼び戻していった。結果、18年には、園児が38名になったんです。

長谷保育園に向かう宮内さんとお子さん。「家から歩いてすぐの場所なので、送り迎えの負担が軽いのも助かっています」

長谷保育園での降園風景。木をふんだんに使った園舎は、大人から見ても心地よい空間なのだとか。

園庭のいつもの遊び場で木登りを披露。「神奈川に暮らしていたころから活発でしたが、遊びがさらにダイナミックになりました」

伊那市指定有形文化財「伊那市創造館」。1930年に上伊那図書館として竣工され、2003年までは公共図書館として用いられていた。10年に生涯学習の拠点としてリニューアルオープンし、企画展示やライブ、式典等に利用されている。

標高1300mの高地に位置する千代田湖。湖畔はキャンプ場となっており、ひっそりとした隠れ家のようなロケーションがキャンパーに人気。美しい環境を生かし映画やドラマ、CM等の撮影地としてもたびたび用いられている。
——それはすごい成果ですね。
市長 移住・定住者が増えたことはもちろん、いったん休園した保育園が再開し、さらには新園舎の建て替えにまでつながったというのも、地域の活力を維持するうえで大きな成果だと思うんです。ちなみに私は、小・中学校に関しては「廃校も統合もしない」が基本方針。学校という灯が消えれば、同時に地域そのものの灯が消えてしまうことにつながりかねません。ICT(情報通信技術)の活用など、工夫をしながら、これからも子どもたちが育つ場を市内各所で守っていきたい考えです。なお新山では、この取り組みをきっかけに、住民自身の意識にも変化が生まれました。かつては「こんな山の中だから人が来ないのだ」という意識が強かったのですが、いまは「市役所から車で15分も走れば、森の中で暮らせる」と、地域に新たな価値を見出せるようになりました。移住者が増えていく過程で、地域の人たちも次第に自分たちのまちを誇れるようになっていったんです。
宮内 私が暮らしているのも田舎暮らしモデル地域の1つの長谷ですが、住民のみなさんから移住ウェルカムなムードを感じるのは本当にありがたいです。自宅近くで畑だけでなく、お米づくりもさせてもらえることになりました。一方で、市長がおっしゃるとおり、自家用車を使えば市街地へのアクセスもスムーズですし、市内ではコンサートや文化的な催しもたくさん。密度の濃い文化や学びが経験できますよね。
藤井 れは私も感じます。伊那市のホールなどでは、都会ではなかなかチケットがとれないようなアーティストがふいにライブを開催することも。そんなときは、アーティストと距離の近い関わりができたりして、とってもぜいたくだなあと感じています。
市長 文化芸術を体感できる暮らしは、土地の自然を感じ学ぶことと同じくらい大切なことだと考えているんです。コンサートが身近にあるまちづくりや、伊那市内の小・中学校や高校と東京藝大との交流などにも継続して力を入れてきました。
もう1つ、重要なポイントは医療。いま全国的に出産ができる産婦人科の減少が問題になっていますが、じつは伊那市には産婦人科医が集まってきている。そして、医師が地域に集まる、戻っ てくる土台づくりの1つとして、いま新しくつくろうとしている高校に「医学進学コース」を設けられるよう、県と調整を進めているところです。

今年、農家さんとともに手がけた田んぼの前に立つ宮内さん親子。地域を流れる三峰川の水で育った米は「川下り米」と呼ばれ、古くから評判なのだそう。「そのような名産地で米づくりに関われてうれしいです」

畑で実ったミニトマトを収穫。
——豊かな自然を基本に、手厚い移住支援や文化・医療の充実など、伊那市の人気の理由が見えてきました。移住検討者に必要な準備や心構えがあるならどのようなものでしょう。
藤井 まずは交通手段でしょうか。公共交通機関も利用できますが、とくに子育て世代なら自家用車で生活するのが現実的と考えておいた方がいいですね。
そしてこれは個人的な感覚ですが、都会のように「不動産を買ったからここは自分の場所」ではなく、この地域に対して「お邪魔します」という心もちは忘れたくないな、と思っています。
宮内 地域のみなさんとのコミュニケーションも同じですよね。美しい自然や環境があるのは、ここに暮らす方たちが守ってきてくださったからこそ。まずは地域の集いに顔を出しながら、この土地のことを学ばなければと思いました。そして「教えてください」というと、みなさんとても親身に答えてくださるんです。
藤井 そうそう、伊那谷の方は、ちょっと シャイだけど情に厚いと聞いたことがありますが、そんな感じがしますよね。
市長 伊那谷出身の民俗学者・向山雅重はかつて、信州の人々の気質を繊維素材に例えて「伊那は木綿」と表現しています。私はこれを「素朴であたたか」と解釈していますが、なかなか言い得ていると思っています。気さくに声をかけてみれば、道案内なら目的地までついて行ってしまうような人懐っこさこそ、土地の風土が育んだ、伊那の人らしさ。地域の人と言葉を交わす機会を積極的にもっていただけたらと思います。

庭で乾燥中のホーリーバジル。「トゥルシーとも呼ばれるこのハーブの種は、八ヶ岳の友人からいただいたもの。こうして干してお茶として味わっています」

宮内家の台所には、夫の仕事先である農家から届いた立派なズッキーニと、家の畑のとうもろこしが 。「この一帯は土地が肥沃だそう。だからでしょうか、都会では考えられないくらい立派な野菜が育ちます」

家で自ら手づくりした麹をほぐして。

毎年のように仕込んでいる「古式醤油」の瓶には「おいしくなーれ」の願いを書いて。

写真右から、日々愛飲している手づくり麹の甘酒と、スパイスと仕込んだ「カレー麹」、「玉ねぎ麹」はコンソメ代わりに使えて便利。
——最後にお一人ずつ、移住を検討されるみなさんへメッセージをお願いします。
宮内 大人の挑戦も、子どもたちの新たな出会いも、伊那市へ来ていろんなことが良い方向に向かっているように感じています。気になる方はまず訪れてみて、この土地の雰囲気を肌で感じてみることをおすすめしたいです。
藤井 私が移住していちばん驚いているのが、これまでいかに消費に偏った暮らしだったのかということ。都市ではモノもサービスもなんでもお金を払って得ていたものが、ここでは自分の手を動かせば野菜もお米も薪も、自分で生み出すことができる。それは喜びであり、安心感を育んでくれるものだと思います。あのとき、ちょっと勇気を出して人生を変えてみて本当によかった。だからこそ、今度はみなさんのちょっとの勇気を後押しできたらと思っています。ぜひお気軽にご相談ください。
市長 那市では、多様な命が支え合い、恵みをもたらす森のように、市民が関わり合い、喜びをわかちあうまちづくりをめざそうと、「森といきる 伊那市」をブランドスローガンに掲げて動き出しました。森では一つひとつの命が主役であると同時に、みんながみんなを支え合う存在でもあるはず。そんなふうに、このまちであらゆる人が混ざり合いながら、ともに地域を変え、ひいては日本のあり方を動かしていけたらと願っています。みなさんとの出会いを、心からお待ちしています。

「どんな作品ができるかな」と、はびろ農業公園「みはらしファーム」内クラフト体験コーナーで市長も足をとめて。

熱田神社舞宮前のベンチに腰かけて、のんびりお弁当タイム。ほどよく日陰になった境内には、心地いい風がそよいでいた。
長野県伊那市移住定住応援サイト https://www.inacity.jp/iju/index.html
長野県伊那市公式動画チャンネル https://www.youtube.com/@伊那市公式動画チャンネル

