Volume.39 SPECIAL CONTENTS

homeを探す旅。

#覚醒する五感 #ホームグラウンド #暮らしの拠点

homeという言葉は、実に多様だ。
家、故郷、国、拠点とする地域までもが
homeとして語られる。
homeとは人、場所、生活を取り巻く
すべてがつくり出す風景そのもの。
中でも一番大切なのは人である。

——欲望、好奇心、進化をテーマに
新たな食の可能性を追求する
“フードクリエイション”の
諏訪綾子さんと古井真也さん。
世界を舞台に活動する彼らの
もう一つのhome
森の奥の小さなアトリエを訪ねた。
感性を研ぎ澄まし、
生き物としての本能を呼び覚ます場所。

都会と森、そして人とのつながりから
これからのhomeのあり方を探ります。

homeを探す旅。

Rustic luxury

国道脇の細い坂道を上った先。まぶしさを増す初夏の太陽と シラカバやマメザクラがつくり出す樹影、 幾筋もの沢から届く涼やかな水音、 鳥たちのさえずりが響く清閑な森の中に そのアトリエはある。

古井 真也さん

展覧会やイベントのプロデュース、アーティストマネジメントなどを行う(株)ポイントオブビュー代表。food creationのプロジェクトマネージャーとしてディナーイベント等のプロデュースにも携わる。アトリエ移転後は森林料理研究家としても活動。東京都世田谷区生まれ。

諏訪 綾子さん

アーティスト。2006年、「そのコンセプト、胃まで届けます」をキャッチフレーズにfood creationの主宰として活動を開始し、さまざまな手法で作品を発表。国内外のラグジュアリーブランド・企業に招聘され、コラボレーションも多数。石川県能登半島の豊かな自然の中で育つ。

東京・恵比寿から山梨・道志村へ。諏訪綾子さんと古井真也さんが、アトリエを移転したのは2019年の夏だった。
多彩な食の表現活動を行う“フードクリエイション”を主宰する諏訪さんは、日本のフードアートの先駆けとして国内外で活躍するアーティスト。フードクリエイションのマネージメントを担うパートナーの古井さんは、アート関連のプロデュースやイベント企画なども手掛けている。
移転のきっかけは、恵比寿にあったアトリエが解体されることだったが、諏訪さんは「自然からのインスピレーションを受けて表現をしているのに、長い東京暮らしで自分の野性みたいなものが弱くなっている気がして、その野生が、自然の中でどれだけ通用するのか確かめたくなった」という。
ネットで不動産を検索していた古井さんがこの物件を見つけ出し、翌日には現地で内見。諏訪さん曰く「ほぼ直感」で、もともとは別荘だったという小ぶりな二階屋と約400坪の土地の購入を即決した。

手が入り過ぎない森に
飲まれそうな感じと
建物のミニマムさがすごくいい

「直感で、と諏訪は言いますけど、僕はめちゃくちゃ考えましたよ(笑)」と古井さん。「東京から2時間前後の距離で、周囲からの視線が木立に遮られていて、敷地に流れる沢の水が飲める。水がきれいな場所は、きっと食べ物もおいしいだろうなって」  たしかにここは道志川の源流で、横浜市の水源地でもある。アトリエの水道も、村の共有財産である湧水池から引いているそうだ。蛇口をひねるだけでおいしい名水が飲めるとは実に羨ましいが、そのための労力は不可欠だ。

「水源やパイプに泥や枯れ葉が詰まらないように、地元の方と一緒にメンテナンスをしています。冬は凍結予防の水抜き作業も必要ですし、しなきゃいけないことはいろいろありますね。水の行方を意識するようになって、洗剤などの選び方も変わりました」
何年か空き家だった建物は修繕が必要で、朽ちて抜けそうだった床やデッキはプロに依頼。それ以外は、幼いころからものづくりが好きだったと いう古井さんのDIYだ。室内外に1台ずつ置かれた薪ストーブの台座は、捨てられていたバーベキュー用の鉄板や廃材を活用。煙突も、廃棄されていたものをリユースしたという。「すごく優秀で万能です」という薪ストーブはホンマ製作所のもの。「真冬でもこれ1台でアトリエ中が暖まるし、火加減が調整しやすくて強火の調理もできる。ガスコンロはほとんど使いません」

木の実、鳥の羽、不思議な石、枯れ葉に埋まっていた鹿の骨(らしきものを洗って磨いたもの)など、諏訪さんの「森で拾ったものコレクション」はギャラリーのよう。古井さんのデスクにはレコードプレーヤーと、数え切れないほどのレコード盤がコレクションされている。写真中央は乾燥したモリーユ茸(アミガサ茸)。「パリのマルシェで見た」という古井さんの記憶を頼りに敷地内で採取。知人から山で採れたトリュフをもらったこともあるそうだ。

鳥の羽、蜂の巣、木の実、
枯れ葉に埋もれた鹿の骨……
自然のクリエイションはすごい

アトリエを移転したとはいえ、中心拠点はあくまでも東京。毎月のように海外にも出張し、「旅をしながら仕事をするような暮らし」が日常で、山梨を訪れるのは月に1度のペースだった。
それが一変したのは半年後の2020年春。新型コロナウイルスというパンデミックによって仕事が全面的にストップし、以降はここがホームになった。
先行きがまったく見えない状況ではあったが、敷地や周辺の植生をじっくり観察したり、森を散策して目に留まったものを収集したり、土や植物を蒸留して香りを抽出する新たな作品の試作を重ねたり、「以前とは違った、野生に触れて野性を取り戻すような時間」を過ごすようになった。

村の人たちは一流の生活者。
僕らも燃料や食べ物を
できるだけ自分でつくっていきたい

毎日のように散歩をしているという “養老の森”へ向かう。山主さんや解剖学者の養老孟司さんの理念のもと、地域の方や有志の方が保全活動を行う広大な森の整備活動に、二人も参加しているそうだ。木陰を抜ける風、水音や鳥の声、葉擦れのざわめきが重層的に鳴り響く森は、清々しい気に満ちている。
遊歩道があるとはいえ、厳しい傾斜が続く。だが、二人の足取りは実に軽やかでしなやか。この2年間で身についたものなのだろうか。  
スイスイと山道を進みながら何かを発見しては立ち止まり、また進み……と、いつの間にか古井さんの手には数種類の山菜が。
「変わった虫とか動物とか珍しい食材とか、散歩には発見があって楽しいですよね。東京で裏路地をぶらぶらして良い店を見つけたり、レアなレコードをディグる(掘る)感覚と同じ “お宝見つけた!”っていう高揚感があるんです」

モミの新芽の柔らかい先っぽをつまんだ諏訪さんは、当たり前のようにそれをかじり出した。「この時期だけの、レモンみたいな酸味がありますよ」と言われて口にしてみると、予想外の爽やかさがあじわえる。「おいしいことを発見して、みんなにおすすめしているんです。スギの新芽もいけますよ」と笑う。
「実際に食べるかどうかは別にして、食べてみたいと思うものを採集したり、写真に撮ったり、においをかいだりすることをテイストハンティングって呼んでいます。“これはなに?”という好奇心や、“もしかしたら食べられるかも?”という直感は、現代人よりも太古の人たちのほうが洗練されていたと思うんです。知識や経験が増えることで、“知ってるつもりの引き出し”にあっさり収めてしまうのはもったいない気がしません?
そういうスイッチを入れ直すことができたら、もっと感覚が鋭くなって、いろんな意味で本能的な部分や野性が呼び覚まされるんじゃないかなって」

森暮らしの中で生まれた諏訪さんの新たな作品の一つが、アトリエ内部や外壁にも掲げられている“タリスマン”だ。  魔除け、お守りを意味するタリスマンの材料は、使い道がないと見なされて山のあちこちに放置された間伐材の枝葉。切りたての枝葉を見るたびに「なんてフレッシュできれいなんだろう」と感じていた諏訪さんは、それらを拾い集めてオブジェをつくり始めた。
それは、東京の友人たちが緊急事態宣言下で外出もままならず、マスクや消毒用アルコールも不足してストレスフルな状況にあったころのこと。自分たちは自然の中で、人に会わず、マスクも必要ない、と申し訳なく感じていたとき、木々が発散するフィトンチッドという成分には殺菌効果があり、森林浴の効果の源であると知った。ならば、スギやヒノキの束を部屋に飾ってもらいお守りにしてもらおうと、友人たちにタリスマンを送り始めた。
森の精気を宿した清新な緑と香りを、友人たちが喜ばないはずはない。しばらくすると、お礼のワインやケーキ、本などが届くようになった。

知識や理性よりも
気持ち悪いとか怖いとか
さわりたいとか
本能的に感じることで
インスピレーションが湧いてくる

村の人々にお世話になると、そのお礼として、友人たちから届いた品をおすそ分けするようになった。諏訪さんとタリスマンを介することで、森と都市をつなぐ新たな循環が生まれたのだ。
「お金でモノを買ったりサービスを受けたりするのとは違ったやり取りに豊かさを感じました」
月日が経過してタリスマンが乾燥するころ、「森に還しに来て」と友人たちを誘った。一緒に森を歩き、山の食材を堪能し、焚き火を囲み、乾いたタリスマンをくべて爆ぜる音や美しい炎を愛でる。このひとときに、友人たちはどれほど慰められたことだろう。
帰途の手土産に手渡すのはフレッシュなタリスマン。それは「元気で、また森へ」という思いが込められた最高のお守りだ。

「好きな食べ物は?」
と訊かれたら
「まだ食べたことのないものを
食べるのが好きです!」
と答えます

今でこそ地域とのつながりを深めているが、当初はコロナ禍の影響もあり接触を控えていたという二人。ある大きな石が、それを変えたそうだが……。
菜園をつくろうと耕作を開始した早々、古井さんは大石にぶち当たる。連日の奮闘も虚しく、石は微動だにしない。その様子をうかがっていた村人に声を掛けられて山道の補修作業に参加すると、翌日には「作業のお礼」と重機が登場し、ものの数分で石の撤去は完了。お礼にワインを届けると、そのお返しに鹿肉を頂戴する。おいしさに感激して再びお礼に向かうと「薪はいるかい?」「いいんですか?」となって薪の入手に至り、さらに薪割り方法や道具選びのコツを教示してくれる人が現れたという。
「それがすべての始まり」であり、お金で買えない価値の交歓を体感する最初の出来事でもあった。

なんだこれは!と驚くほど
ここでの暮らしは
贅沢で最先端なものだと感じて

「菜園の石をきっかけに、思いがけず素敵な方々にお会いできて、物々交換のようなかたちでさまざまな知恵を教わったり貴重なものを分けていただいたり。それはすごく豊かで、ある意味贅沢で、なんて未来的で最先端なんだろうと驚いたんです」と諏訪さん。仕事柄、国内外の一流ブランドや企業とのコラボレーションも多く、その魅力や豊かさは熟知している。だからこそ、「それらとは違う意味で、森の暮らしはラグジュアリー」と感じた。
「コロナ禍を経験したことで考え方や価値観が大きく変わった方は多いと思います。私も、ラグジュアリーって?お金の価値って? 豊かさって? と自問するようになりましたし、お金じゃない価値でみなさんになにをお返しできるのか、自分なりの方法をずっと探っているんです」

「ライフスタイルがガラッと変わり、衣食住の能力を高める必要に迫られたこともあって、生活のスキルを身につけることにすごく興味が出ました」と古井さんは語る。 「たくさん採れた食べ物を分けていただいたら、お返しに得意なことをお手伝いするとか、お金をもらう労働とは違った多様性と豊かさがここにはある。ないものが多いからこそ、限られたもので工夫して、無駄なく使い切る人がたくさんいるんです。すごくクリエイティブでかっこよくて、むちゃくちゃ影響を受けています」
森の師匠たちから薫陶を受け、料理、林業、土木など多様なスキルをめきめき向上させている古井さん。食べることも料理も大好きで、この村の資源である3要素─湧き水・土地の食材・森林資源を使った火─を軸にした食を“森林料理”と名付け、“森林料理研究家”としての活動も開始した。
SNSなどで発信されるライフスタイルや素晴らしくおいしそうな料理、山野がもたらす食材の数々が注目され、これまでとは異なるタイプの依頼やプロジェクトの相談も増えているそうだ。

水と土と火
ここならではの素材を使って
おいしいものをつくりたい

この日、古井さんが薪ストーブでグリルしていたのは、ご近所のハンターからいただいたという鹿の赤身と貴重なレバー。ソースの決め手となる山椒も、パスタに入れられたモリーユ茸も山ウドも筍も、サラダのクレソンも、どれもこれも新鮮な森の産物で力強いおいしさ。食後のお茶は「ほうじ茶にスギナとヨモギ、ちょっとだけヒノキとスギをブレンド」した諏訪さんのオリジナルティー。こちらも森の恵みを濃縮した一杯だ。
「僕は食いしん坊だし、諏訪はアーティストだから好奇心が人一倍旺盛。二人とも、なんでも食べてみたいって気持ちが強いし、これとあれを混ぜてみようという実験的なこと、研究みたいなことが楽しいし大好きなんです」

自然のエッセンスが凝縮されて
その土地だけのハチミツになる。
不思議で洗練されていて
知れば知るほどおもしろい

驚いたことに、二人は養蜂にも挑戦しているという。  最初に養蜂場を訪ねたのは、「蜂の子を食べてみたい」という動機から。生まれて初めて生きた蜂の子と生のハチミツを食し、「とにかく感激!」した二人は、その後も何度か養蜂場へ足を運ぶ。そうこうするうちに養蜂に興味をもつようになり、「気づいたら養蜂家の方を質問攻めにしていたみたいで、『じゃあ、やってみます?』と言っていただいて」。
思いがけない誘いに「まさか自分たちにもできるなんて」と驚いたものの、探求心あふれる二人のこと、「ぜひやりたいです!」と、勇んで養蜂用の防護服を購入した。間伐材の板で巣箱を組み立てることから始まって、昨年6月には初めての採蜜も経験したという。冬の間に結晶化してクリームのように見える非加熱のハチミツは、とても濃厚でまろやかな甘さだ。
生のハチミツや人類最古のお酒といわれるミード(蜂蜜酒)のおいしさ、ハチミツができる過程の驚異、蜜蜂の生態の神秘、背景にある自然環境の問題など、蜂を巡る話題は尽きない。

二人を養蜂へ誘ってくれたのは、BEE FARM道志を主宰する養蜂家の抱井昌史さん。2016年に移住し、地域おこし協力隊を経て養蜂家に。「蜂の世界を知ってもらえるのはうれしいことです」 ハチミツの瓶が置かれた器は、熊野川の河川敷の石で制作。森林料理が縁で熊野古道に招かれ「その土地を物語る美しい清流の石を食器として用い、紀伊半島の豊かな自然が育む山海の食材を味わう旅」の森林料理を監修した。 昨年6月に採蜜した百花蜜は、その地、その時期に咲いているさまざまな花の蜜が集められたもので「どの花の蜜なのかを知っているのは蜜蜂だけなんですよね」。

タリスマンを通じて
森や水の循環に
加担してもらえたら
と考えています

森での日々は3年目を迎えた。
タリスマン誕生のストーリーを知ったキュレーターに請われて、各地の美術館で展覧会も開催されている。材料となる間伐材の枝葉は、開催地の水源である森を手入れする林業関係者から提供されるもの。タリスマンという作品は「その地の自然と共生する方々とのコラボレーション」。“food”から“風土”へ、森を拠点にした未来的な暮らしを経験し、フードクリエイションは表現のフィールドを広げている。 「風土のクリエイションなんておこがましいのでは、と考えていたとき、尊敬する人に背中を押されました。『土地というもともとそこにある自然に外からの風が入って風土はつくられるし、そこで新しく生まれるものがあるんじゃない?』と。そんなふうにして、なにかを生み出していけたらと思っています」

金沢にある現代アートの美術館KAMU kanazawaで2年間にわたり開催中のタリスマンの展覧会は、石川県広域の水源地・霊峰白山で間伐されたスギの枝葉を使用。タリスマンを受けとり、乾いたら森に還し、新たなタリスマンを持ち帰る……といった、自然の循環に加わる体験のプロジェクトが進行中。 2022年10月初旬に山梨県立美術館で作品発表を予定。